憲法9条にノーベル平和賞を

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① 世界各国に平和憲法を広めるために、日本国憲法、特に第9条、を保持している日本国民にノーベル平和賞を授与してください。   ➔ http://chn.ge/1bNX7Hb

 世界各国リーダー宛: いかなる理由があろうとも戦争はしないでください。話し合いで平和的に解決してください。 仲裁に努めてください。
➔ https://www.change.org/p/no-war-1

 「国連・平和への権利」要請署名 ➔ https://www.change.org/p/right-to-peace

④ 4野党本部宛:憲法違反の「安保法制」廃止・安倍政権退陣のため、 衆議院小選挙区での選挙協力への要望書
➔ https://www.change.org/p/be-united-in-good 

 神奈川県でも野党統一候補を:憲法違反の「安保法制」廃止・安倍政権退陣のため、 衆議院小選挙区での選挙協力への要望書 
 https://www.change.org/p/one-kanagawa  署名用紙はこちらからダウンロードできます。

2014年3月28日金曜日

ノーベル平和賞に関する事実 (抜粋) 簡易日本語訳

Martin Luther Kingノーベル平和賞に関する事実 (抜粋)
http://www.nobelprize.org/nobel_prizes/facts/peace/

18951127日、アルフレッド・ノーベルは遺言を書き、彼の財産の最も多くの分け前を一連の賞、つまりノーベル賞に与えた。ノーベルの遺言に書かれているように、一部は、「国家間の友愛、常備軍の廃絶あるいは削減、平和会議の開催や推進のために、最もよく働いた人」に対して与えられた。1901年から2013年のノーベル平和賞についてもっと学びましょう。

ノーベル平和賞の数
1901年以来、94のノーベル平和賞が授与されてきた。以下の19回は授与されなかった。1914-1916191819231924192819321939-194319481955-19561966-19671972年。

なぜ、それらの年に平和賞は授与されなかったのか?ノーベル財団の規則によると、「もし検討されている業績の中に第一段落で示されている重要性をもつものがない場合、賞金は翌年まで取っておかれる。もしその時〔翌年〕も賞が授与されることができないのなら、その額は財団の拘束資金に加えられる。」第一次と第二次世界大戦の間は、ノーベル賞はほとんど授与されなかった。

共有された&共有されていないノーベル平和賞の数〔共同受賞〕
64の平和賞が1受賞者だけに与えられた。
28の平和賞が2受賞者によって共有された〔2/団体の共同受賞〕。
2の平和賞が3受賞者によって共有された〔3/団体の共同受賞〕。1994年のノーベル平和賞はヤセル・アラファト、シモン・ペレス、イツハク・ラビンに。2011年のノーベル平和賞はエレン・ジョンソン・サーリーフレイマ・ボウィタワックル・カルマンに。

なぜか?ノーベル財団の規則によると、「賞金は、賞に値すると考えられる二つの業績の間で等しく分割される。もし報いられる一つの業績が2人か3人の人によって生み出されたなら、賞は彼らに共同で授与される。賞金が3人より多くの間で分割されることはない。」

1人のノーベル平和賞受賞者が賞を辞退した
1973年のノーベル平和賞を米国務長官ヘンリー・キッシンジャーと共同で受賞した、ベトナムの政治家レ・ドゥクは、ノーベル平和賞を辞退した唯一の人物である。彼らは二人ともベトナム和平協定交渉のゆえに賞を授与された。レ・ドゥクは、理由としてベトナムの状況を引きながら、彼はノーベル賞を受賞する立場にはないと言った。
ベトナム戦争(1959-1975年)は、ベトナム民主共和国(北ベトナム)とアメリカが支援したベトナム共和国(南ベトナム)の間で戦われた。南とアメリカ軍は敗北し、北の共産主義政権の下でのベトナム統一と共に戦争は終結した。
死後のノーベル平和賞
死後のノーベル平和賞は一回あり、それは1961年のダグ・ハマーショルドに対してである。1974年以降、ノーベル財団の規則は、ノーベル賞の公表の後に亡くならない限り、賞は死後に与えられることはできないと定めている。1974年より前には、エリク・アクセル・カールフェルトに対しても、死後に与えられた(1931年のノーベル文学賞)。

100年間のノーベル平和賞と推薦
ノーベル平和賞の最初の100年間(1901-2001年)の109の受賞者や団体、4857の推薦された人や団体は、地理的と団体的に以下のように分布させられる。
nomination facts Nobel Peace Prizeノーベル平和賞

ノーベル平和賞の推薦




国際機構   西欧  東欧  北米  ラテン米 アジア アフリカ

ノーベル平和賞を受賞しなかった推薦された個人の例(1901-1950年)
ノーベル平和賞推薦データベースの中の個人についての最も多い3つの問い合わせは、アドルフ・ヒトラー、マハトマ・ガンディー、ヨシフ・スターリンである。

ヨシフ・スターリンは、ソ連の共産党書記長であり(1922-1953年)、第二次世界大戦終結のための彼の努力のゆえに、19451948年にノーベル平和賞に推薦された。

マハトマ・ガンディーは、20世紀における非暴力の最も力強い象徴の一人であり、1937193819391947年、そして最後に19481月の彼の暗殺直前に推薦された。ガンディーは賞を授与されなかったが(死後の授与は規則で許されていない)、ノルウェーノーベル委員会は、ふさわしい存命の候補がいないという理由でその年〔1948年〕は賞を授与しないことに決定した。

アドルフ・ヒトラーは、一回、1939年に推薦された。今日では信じ難く思われるかもしれないが、ナチスの指導者アドルフ・ヒトラーは、スウェーデンの議員、E.G.C.ブラントによって、1939年にノーベル平和賞に推薦された。明らかではあるが、ブラントは推薦が真剣に受け取られるとは、決して意図していなかった。ブラントはどう見ても熱心な反ファシストで、この推薦を当時のスウェーデンの政治論争の風刺的な批判として意図していた。(その時、多くのスウェーデン議員が当時の英首相ネヴィル・チェンバレンをノーベル平和賞に推薦していたが、その推薦をブラントは大いなる懐疑を持って見ていた。)しかしながら、ブラントの風刺的な意図は全くうまく受け取られず、その推薦は193921日付の手紙で素早く却下された。

ノーベル平和賞に推薦されたが授与されなかった他の政治家や国家指導者
チェコスロバキア:トマーシュ・G・マサリク、エドヴァルド・ベネシュ
イギリス:ネヴィル・チェンバレン、アンソニー・イーデン、クレメント・アトリー、ラムゼイ・マクドナルド、ウィンストン・チャーチル
アメリカ:ウィリアム・ハワード・タフト、ウォレン・G・ハーディング、ハーバート・フーヴァー、フランクリン・D・ルーズベルト、ハリー・S・トルーマン、ドワイト・D・アイゼンハワー大統領、
チャールズ・ヒューズ、ジョン・フォスター・ダレス国務長官
フランス:ピエール・マンデス=フランス
西ドイツ:コンラート・アデナウアー
アルゼンチン:フアン&エバ・ペロン
インド:マハトマ・ガンディー、ジャワハルラール・ネルー
フィンランド:ユホ・クスティ・パーシキヴィ
イタリア:ベニート・ムッソリーニ
                                                             
ノーベル平和賞に推薦されたが授与されなかった芸術家
レフ・トルストイ(ロシア作家)、EM・レマルク(ドイツ作家)、パブロ・カザルス(スペイン・カタロニアチェロ奏者、のち指揮者)、ニコライ・リョーリフ

平和の業績によって主に知られているわけではない推薦された人たち
ジョン・メイナード・ケインズ(イギリス経済学者)
ピエール・ド・クーベルタン(フランス教育者・歴史家。国際オリンピック委員会の創設で最も知られる。)
ベーデン=パウエル卿(英国陸軍中将、作家、スカウト運動の創立者)
マリア・モンテッソーリ(誕生から思春期までの子供教育の哲学と方法で最も知られる。彼女の方法は今日でも世界中の公立・私立学校で使われている。)

推薦された王族の人々
ニコライ2世(1901年)、スウェーデンのカール王子(1919年)、ベルギーのアルベール1世(1922年)、エチオピアのハイレ・セラシエ皇帝(1938年)、ギリシャのパウロス1世(1950年)、オランダのウィルヘルミナ女王(1951年)